銀狐の文具稲荷

-文房具を覆う表現を剥がし愛情を込めて丁寧に貼り付けた簡素な艸菴- (Since 2007-01-04)

メーカー紹介(6):MONTBLANC

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1906年

「モダン」な新世紀の始まりは、
発明家及びクラフツマンにとって非常に刺激的な効果を与える。
発明の才とイマジネーションの力により、
万年筆の世界にも、技術的勝つ商業的な
新しい息吹がもたらされたのです。

ハンブルグの文具商 クラウス・ヨハネス・フォス。
ハンブルグの銀行家 アルフレッド・ネヘミアス
ベルリンのエンジニア アウグスト・エーベルシュタイン

は、この新しい時代の兆候を敏感にキャッチし、
新しい万年筆を開発。将来、国際的に大成功を収めることとなる
モンブランの礎となる、ジョイント・ベンチャーに乗り出す。

1908年

「ハイクラスのゴールド万年筆を創る」これがモンブラン創業当時、
自らに果たしたキャッチフレーズでした。
当時の会社は「シンプロフィラーペンカンパニー」と呼ばれており、
シンプロという言葉はシンプルに由来し、
それまで別だった「インク容器」を一体化させた
ニューデザインのペンであることを強調するものでした。

1909年

技術改良を施した万年筆「モンブラン」。
「モンブラン」の名は商標登録され、
以後製造される全ての筆記具に用いられました。

1913年(スター誕生)

モンブランの「ホワイトスター」はブランドロゴになります。
以降、「シンプロフィラーペン」カンパニーの製造する全ての筆記具に、
この一目で分かるリングで囲まれたホワイトスターが入れられるようになります。
このマークは、ヨーロッパ最高峰であるモンブランの山頂を覆う万年雪。
つまり良質なヨーロピアンクラフツマンシップの最高品質を象徴するもので、
ブランドの「誇り」を表しています。

1924年(神話の創出)

伝統的なマイスターシュテュック万年筆が発表され、
世界規模で大成功を収めます。
パーフェクトなデザインによる一つの神話が生まれました。

1929年(標高)

この年を初めとして、以来ずっとモンブランマイスターシュテュックの
心臓部といえるペン先に、「4810」の数字が刻印されます。
これは、モンブラン峰の標高を示しています。

1946年(復興と発展)

大戦中に破壊された工場は速やかに再建されました。
この時期、モンブラン万年筆はデンマークでも製造、
海外の支店も徐々に再オープンされました。

1963年(私のペンをお使い下さい)

Please teke mine ジョンFケネディー大統領が
コンラッド・アデナウアー首相に、マイスターシュテュックを
貸すことによって苦境から救いました。

2003年(新しい伝説の誕生)

筆記具の新しいジェネレーション、スターウォーカー、
タイムウォーカーコレクション。
コスモポリタンで、ダイナミック、ピュアで美しいデザインを
愛する方へ

2004年(書く権利の表明)

世界の非識字率の問題に取り組み、書くことの重要性を
訴えるため、モンブランはユニセフとの協力のもと、
149名の著名人に依頼し、
マイスターシュテュック149万年筆による
「私は書くことが好きです。なぜなら・・・・・」
と書いていただく活動を続けています。
協力を依頼した方々の中には、ミハイル、ゴルバチョフ、
ジャガー、ルチアーノなどの面々が名を連ねています。
これらの方々が書いたメッセージとサイン入りの万年筆は、
eBayでオークションにかけられ、その収益金はすべて直接
ユニセフに寄付されました。


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  1. 2007/11/19(月) 00:00:00|
  2. メーカー紹介
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メーカー紹介(5):モレスキン HISTORY篇

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200年間もの歴史を誇る伝説のノートブック「モレスキン」。
このノートブックは、アンリ・マティス(1869-1954)や
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)などに代表される
才能豊かな画家から、
詩人でありシューレアリズム運動の先導者としても活躍した
アンドレ・ブルトン(1896-1966)、
前世紀の文学界に最も影響を与えた作家
アーネスト・ヘミングウェイ(1899-1961)、
旅行記作家として名高いブルース・チャトウィン(1940-1989)
にまで及ぶ数多の芸術家・作家・知識人・旅行家たちに愛されてきました。
モレスキン・ノートブックは、日々の忙しさや旅行中の厳しさの中で
仕方なく酷使してしまう状況にあっても十二分に持ちこたえることが証明されている、信頼に足る手帳なのです。

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数々の華やいだエピソードに彩られているその伝統からは
想像しづらい事ですが、モレスキン・ノートブックは1986年、
一時的であれ製造中止という事態に見舞われました。
出発の前には必ずパリ市内ラシェンヌ・コメディ通りの文房具店に
立ち寄りモレスキンを買い込むのが常だった旅行記作家、
ブルース・チャトウィンは、パタゴニアへの旅立ちに先立って
貴重なモレスキン1つをチリの小説家で友人のルイス・セプルヴェーダに贈ったと言われています。
「貴重」というのは、
フランスのトゥールに本拠地を持つ小さな家族経営の工場閉鎖に伴い、
モレスキン1つ入手することすら困難な状況に陥っていたからに他なりません。
オーストラリア旅行に備え、モレスキン100冊を注文していた
チャトウィンの質問が幾度となく繰り返されようと、
文具屋はこう答えざるを得なかったのです。

「Le vrai moleskine n'est plus(ル・ヴレ・モレスキン・ネ・プリュ)」
すなわち、もはや本物のモレスキンは1つも残っていないと。
現在、モレスキンの伝統はイタリアの企業Modo&Modoの尽力によって復活を遂げています。1つのポケットからもう1つのポケットへと移行することによって時代の目撃者となった今、冒険は果てしなく続いていくのです。


モレスキンについては。




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  1. 2007/11/12(月) 00:00:00|
  2. メーカー紹介
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メーカー紹介(4):RHODIA

ロディア/RHODIA HISTORY

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ロディアを生んだ会社は、
1920年、フランス・第二の都市リヨンに、
アンリ・ヴェリヤックにより、創設されました。
設立まもなく、弟のロベールも経営に参加したといいます。
当初の社名は、【 ヴェリヤック兄弟社 】。

そして、RHODIAを、メモパッドを含むすべての製品の
商標として登録したのです。

「RHODIA」のブランド名の由来は、
リヨンを流れる【RHONE】、(フランス4大河川・ローヌ川)
に由来しました。
今ではすっかりおなじみの2本のツリーを模したマークは、
アンリとロベールの二人の兄弟の絆を象徴するものです。
ヴェリヤック兄弟社は、ほどなくして、フレンチ・アルプスの
グルノーブルにほどちかいセシリアンヌに移転、
このとき、現在のオレンジカラーが、
メモパッドの定番色として選択されました。
そして今日まで変わることなく、ますます好評を博しています。

立位での筆記を前提に、プロフェッショナルユースに耐える
機能性と、すぐれたデザイン性から、
多くの人に愛されてきたロディア。

ヨーロッパの日常に欠かせないプロダクトであると同時に、
アメリカ・カナダなど北米では、そのグリッド状の
グラフ方眼フォーマットから、
科学者、アーティスト、建築家・デザイナーを中心に、定番となりました。

アメリカの主要な建築学科のショップには販売されているということです。
時を越え、世界的な定番メモとなったオレンジ色の表紙は、
フランスを代表する顔のひとつです。


http://www.quovadis.co.jp/group/rhodia_bs.html

RHODIAはここで。




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  1. 2007/09/24(月) 00:00:00|
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メーカー紹介(3):ステッドラー

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未来へ

ドライセーフインク、トライアングルシェイプ、
ステッドラーボックス、ステッドラーは高い信頼性と
快適で優れた使用感を実現するため、
世界のトップメーカーとして様々な試みに挑戦し続けています。


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ステッドラー/STAEDTLER HISTORY
J.S.Staedtlerが1835年にNurembergs旧市街壁の中に
彼の鉛筆作成工場を設立したずっと前に、
STAEDTLER家は既に世代のためのこのよく大好きな筆記用具を
手で作り続けていました。

事実上、ルーツを1662年にたどって戻すことができます

--最初に、鉛筆を作っている職人としてのフリードリヒStaedtler。
ラドルフ・クロイツェル博士は1905年に会社に合流しました。
アジアと北アメリカへの彼の旅行はすぐ、
世界的な取り引きのネットワークの一層の拡大に通じました。
彼のリーダーシップの下では、明確に構造化された
範囲の高い高級製品開発されました。

彼は1967年の終わりまで会社を経営しました。
ワークショップを工場に変えたのは、J.S.Staedtlerでした。
1835年10月3日に彼が生産物への協議会が市から許可を受けました。
1840年頃までには、J.S.Staedtlerは
既に63の異種の鉛筆を作っていました。
1866年に、会社は、54人の従業員を持って、
1年単位で15.000グロスを生産しました(=2.160.000本の鉛筆)。
1880年に、会社は1898年にそれをcitys Johannis地区に
移動させたL.クロイツェルによって買収されました。


文具店ワキさんの紹介文を参考にしました。

ステッドラーはこちらで。




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  1. 2007/09/17(月) 00:00:00|
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プロフィール

銀狐

Author:銀狐
雲の近くで紙と筆。本と工藝。
旅・食・美・創・観に魅せられ
鳥・虫・石・艸・風と交わり 閑暇を纏う。

強烈な文具好き。
LAMYとrotringの熱烈な信者であり、
montblancに憧れ、pelikanを愛し、
moleskineを人生のパートナーに迎え、
RHODIAを愛人にして、
Rollbahnと浮き名を流す。

burlingtonにトラベラーズノートと
ファーバーカステルを詰め、
PerkerとfILOFAXを広げた所が書斎。

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