銀狐の文具稲荷

-文房具を覆う表現を剥がし愛情を込めて丁寧に貼り付けた簡素な艸菴- (Since 2007-01-04)

余禄86 火垂るの墓

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『火垂るの墓』 著者・野坂昭如
  (徳間アニメ絵本)


「火垂るの墓」は1967年に発表され、短編「アメリカひじき」とともに翌年直木賞を受賞した。
西宮が主な舞台だが、この三宮の省線(後に国鉄、JR)駅が主人公清太の餓死の場となった。


作者の戦時体験が色濃く投影したこの作品は88年アニメ映画になり、
これで大人だけでなく子供たちも広く知る作品となる。



海軍大尉の父は出征して音信なく、空襲で家と母を失った中学(旧制)生、
清太は4歳の妹節子と西宮の遠い親類宅に身を寄せるが、一家の主婦から冷視され、
決意して近くの満池谷(まんちたに)の池のそばにある横穴に移り住む。

食糧は尽き、やがて妹は重度の栄養失調にかかり、終戦1週間後の45年8月22日に息絶えた。
清太も9月21日、駅の構内で餓死する。


もはや飢はなく、渇きもない、重たげに首を胸におとしこみ、

「わあ、きたない」
「死んどんのやろか」
「アメリカ軍がもうすぐ来るいうのに恥やで、駅にこんなんおったら」

耳だけ生きていて、さまざまな音を聞き分け、そのふいに静まる時が夜、

構内を歩く下駄のひびきと、頭上を過ぎる列車の騒音、急に駈け出す靴音、
「お母ちゃーん」幼児の声、すぐ近くでぼそぼそしゃべる男の声、駅員の乱暴にバケツをほうり出した音、

「今、何日なんやろ」何日なんや、どれくらいたってんやろ、
気づくと眼の前にコンクリートの床があって、

だが自分がすわっている時のままの姿でくの字なりに横倒しになったとは気づかず、
床のかすかなほこりの、清太の弱い呼吸につれてふるえるのをひたとみつめつつ、
何日なんやろな、何日やろかとそれのみ考えつつ、清太は死んだ。

(「筑摩現代文学大系92」より)



衝撃的な描写だ。アニメでも冒頭にこの場面が出てくる。
今のJR三ノ宮駅もコンコースの壁や柱などが往時の名残を感じさせる。


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死んだ清太が身につけていた、節子の骨が入ったドロップの缶。
駅員がそれとは知らず手に取って浜側の駅舎の外の草むらに向け、
投手のモーションをつけて投げ捨てる。


今、華やかににぎわう街にもはやその面影はない。
駅員が投げたその方向のずっと先に、やがて神戸に進駐した米軍の「イースト・キャンプ」ができた。



三宮の街からより。
http://www.mainichi.jp/tanokore/column/tamaki/004049.html



先の大戦を子供の視点で捉えた名作だ。
映像ではなく文章の「火垂るの墓」をおすすめする。



そんな原作者、野坂昭如の好きなもの。


おにぎり。

塩が少しあればそれで十分。具は特に要らない。炊きたてのご飯がうまいとありがたがられるが、
本来ご飯は冷め加減がうまいのだ。
炊きたては熱くて味蕾(みらい)が働かない。おにぎりの方が米本来の味がする。
食べる環境によっても味が違う。体を動かして、お天道さまの下で食べるおにぎりは格別だが、
台所の隅で貪り食うおにぎりほどうまいものはない。

ぼくらの世代の日本人には、人それぞれ子供の頃に食べたおにぎりについての記憶が残る。
おにぎりと記憶が結びついて、忘れられない味となる。おにぎりはぼくの出発点である。




水田。

夏、燦々と降り注ぐ陽差しを浴び、傾斜地に広がる一面の青畳、吹き渡る風。
ぼくにとって、これに勝る光景はない。水田は単に風景として美しいだけじゃない。
稲には水が必要。それには川が要る。川は森がなければ生きられない。つまり、水田が日本の水を守っている。

水田は見ている分には楽しい。だが、入って腰を屈めての田植え、草取りは辛い。

水田を愛するもう一つの理由は、足指の間にヌルッと入ってくる泥の感覚。
農耕民族のDNAを刺激するのか、何とも懐かしく心地よい。



正岡子規『墨汁一滴』(岩波文庫)。

本が身の養いとなるのは十代まで。
ぼくが十代の頃、世の中は戦争でひっくり返って滅茶苦茶、自由に読む金もゆとりもなかった。
養父が本好きで、地下壕に書物疎開してあったが、空襲で養父も本を失った。
焼け残った古本屋で買ったのが、正岡子規、近松秋江ら。

焼け跡の上で、あてもない、だが本を読むうちに空腹と孤独、絶望とやけっぱちな気持が薄れてくる。
子規を繙けば、例えば旺盛な食欲が伝わる。腹ペコのぼくにはこれが楽しかった。
彼は自分の病を嘆きつつ、身辺の連中を小気味良く貶す。

実に面白い。明るさとしぶとさ、何度読んでも飽きない。
八方塞がりの中で、救いとなった。大袈裟じゃなく、ぼくが十四歳の頃、生きる支えとなった正岡子規。



10代で正岡子規が生きる支え・・・・・・ 
私は、子供の頃、鼻を垂らして遊んでおった。






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  1. 2011/11/03(木) 00:00:00|
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Author:銀狐
雲の近くで紙と筆。本と工藝。
旅・食・美・創・観に魅せられ
鳥・虫・石・艸・風と交わり 閑暇を纏う。

強烈な文具好き。
LAMYとrotringの熱烈な信者であり、
montblancに憧れ、pelikanを愛し、
moleskineを人生のパートナーに迎え、
RHODIAを愛人にして、
Rollbahnと浮き名を流す。

burlingtonにトラベラーズノートと
ファーバーカステルを詰め、
PerkerとfILOFAXを広げた所が書斎。

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