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余禄55 小さなエコ |
TVをつければ、「地球温暖化」「省エネ」「エコ」というフレーズを何回耳にするか。 10年前にはほとんど聞かれなかった言葉だった。 確かに地球温暖化に対する危機は知っているつもりだ。 知識としてあるのと自らの生活の中に取り入れているのには違いがある。 恥ずかしながら、「大変だよ、地球環境を考えないとね」と言いながら、 私自身何も生活にエコを取り入れるなど考えていなかった。
ある日カミさんとSATYに買い物に行った。 実は私にとってカミさんに連れて行かれる(強制連行とも言う)食材の買い物というのは、 週末に訪れる嫌いな行事の一つなのだ。 文具店に行くなら何時間も居座れるんだけど・・・・・・
その日も強制連行され、レジで並んでいると となりの列で同じ職場の女性職員がいた。 毎日職場で顔を合わせているのに、 休日の買い物等で会うと妙に気恥ずかしいものだ。 幸い彼女は私に気がついていなかったが、 年老いた女性(お母さんだろうか?)と一緒だった。
私たちより先にレジを済ませた彼女たちは別のコーナーで カゴから食材を袋に入れている。レジ袋ではなくマイバッグに。
私たちは3〜4枚のレジ袋をもらってレジを終え 食材をレジ袋に詰める。
「なあ、次からマイバッグにしようか?」 カミさんに言うと、「ちょっと、これ詰めてて」と言い残し姿を消す。 残された私は1人で食材を袋に詰め込む。 「おまたせ」カミさんの手には「マイバスケット」。 315円で購入してきたのだ。 「これだったら移し替えないでそのまま帰れるでしょ?」 なるほど・・・・・・
辛い食材購入でエコ。 ちょっとは環境のためになるかな?
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余禄54 姦吏(かんり)を殺して「せんたく」する |
坂本龍馬の名台詞。 「日本を今一度せんたくいたし申候」は、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」には出てこない。 文久3(1863)年、国元の姉乙女に送った手紙の一節で、 現在は京都国立博物館に収められている。
この歳、長州藩は下関航行中の外国船を砲撃し、米・仏艦隊にコテンパンにやられる。 被弾した外国船の修理を幕府が請け負い再び前線に送っていた。 それを知った龍馬が怒り心頭に発して書く。 「是皆姦吏(不正な役人)の夷人(外国人)と内通いたし候ものにて」 「姦吏を一時に軍(いくさ)して打殺、日本を今一度せんたくいたし申候」
作中に龍馬の数々の手紙を織り込んだ司馬がこれに触れなかったのは何故か?
龍馬関係文書に詳しい幕末史家、木村幸比古(さちひこ)の推理が面白い。 「新聞連載中の1960年代は学生運動の高揚期。 国家転覆を煽る過激な発言を避けたのではないでしょうか」 司馬の真意はともかく、「日本をせんたく(洗濯)する」というメッセージには ユーモラスは表現とは裏腹に強烈な攘夷(じょうい)(排外)感情と 官僚批判が込められている。
嘉永6(1853)年のペリーの浦賀来航から明治維新まで15年。 今年は政権腐敗と改革の激震で、非自民・細川政権が誕生した1993年 政変から15年にあたる。
平成維新はどこまで・・・・・・・・
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余禄53 棟梁 |
コンクリートと鉄骨、スレートと合板の世の中。 木を切り削り組み合わせ昔ながらのやり方で寺や神社、 本道や拝殿を造る。
100年200年はおろか1000年後にも変わらず地上にあって 仏や神々のいますところ、造るのは「宮大工」と呼ばれる人々。
「法隆寺最後の宮大工」と言われた西岡常一さんのことはよく知られている。 その大工棟梁に小川三夫さんが弟子入りしたのは高校を卒業した春だった。 昭和22年の生まれだからいわゆる団塊の世代である。 世はあげて「高度成長」へと走る中でおよそ時代離れした道を選んだ。 そして30歳の時寺社建築会社「鵤工舎」を設立。棟梁兼舎主になった。
明らかに師の生き方(行き方?)とは大きく違う。 平成19年満60歳、これを機に手塩にかけた仕事場を若い者に譲った。 「理由は年老いたからではない」 西岡棟梁と出会い修業時代のこと、鵤工舎のしくみ、弟子を育てる秘訣、 むしろたいてい弟子から勉強させてもらったという。 「重しを外さないと下は伸びない」任せることがいかに大切なことか。 木組みはしっかりとした「継ぎ手」を作りきっちりとした「仕口(しくち)」を 刻むことによって丈夫な建物ができていく。
宮大工の仕事は時間との闘いだ。 速く造ることではなく、長い歳月に打ち勝つ物を造る。 だからこそ急ぐのは禁物。人間つくりにもつながる。
鵤工舎は120に及ぶ寺社を造ったがそれ以上に誇るべきは多くの弟子を育成したことだろう。 その弟子を抱え込むのではなくそれぞれの望むところへ送り出す。 そして30年経って当人が出て行く「次に行く」ためには、上の重たいのが居ない方が良い。
名棟梁は素材としての自分を見極めもあざやかだ。
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余禄52 日本人の脳に主語は要らない 第2章 (虫の音を「言語と思考の左脳」で聞く謎) |

日本人の脳に主語は要らない (虫の音を「言語と思考の左脳」で聞く謎)
月本 洋著(講談社 選書メチエ)
「あ」という基本的な音やコオロギの鳴き声など日本人は感覚的、直感的に 処理して済ませていると自分は思ってしまうが、そういう感覚的語ではないらしい。 あくまで脳の科学の話である。
「・イギリス人は母音を右脳で聴く ・右脳で自分と他人の識別を行う ・言語野は左脳にある ・左脳と右脳の神経信号の伝播には時間がかかる」
「・日本人は母音を左脳で聴く ・右脳で自分と他人の識別を行う ・言語野は左脳にある ・左脳と右脳の神経信号の伝播には時間がかかる」
欧米人は右脳で母音を聴くと直ちに部位が刺激されて自他の認識を行い 次にそうした情報が言語と思考の左脳に送られ言葉や文が生まれてくる。 言葉の音が聞こえたとたん脳の自他識別の働きが起こり、 その前提の元でしか言語も思考もスタートしないのだ。
対し、日本人は言葉の音は言語と思考の左脳に直接入ってしまい 自他認識の右脳を経ずに思考が始まりすみやかに言葉や文が流れ出る というのである。
文化や社会に関係なく脳の働きそのものに差が由来する可能性を示している。
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余禄51 日本人の脳に主語は要らない 第1章 (虫の音を「言語と思考の左脳」で聞く謎) |

日本人の脳に主語は要らない (虫の音を「言語と思考の左脳」で聞く謎)
月本 洋著(講談社 選書メチエ)
日本語の主語を表す「は」と「が」はどうちがうかや、 主語の意識が乏しいのは何故かと様々なところでさまざまな論議が交わされてきたらしい。
中心が空虚であることを好む日本人。 言語の核となる主語が謎に包まれている日本語。
この2つは同根かと思っていたが・・・・・・・
この本によると、前者はともかく後者の謎については脳科学から説明が付くという。 主語がなくても平気な日本人と主語無しには文が始まらない欧米人の脳そのものに差はないが、 脳が外から入ってきた言葉の情報を処理する際に差が出る。 右脳と左脳の働きの違いについて、角田忠信氏の説は聞いたことがあるだろう。
日本人と欧米人ではせせらぎや虫などの自然界の微妙な音の処理をする脳の部位が異なる。 日本人・・・・・・・言語や思考を司る左脳。 欧米人・・・・・・・感覚や直感を司る右脳。で行うのだ。
そのせいで、欧米人の感覚に敏感な右脳には自然界のランダムな音など、 非音楽的な雑音にしか聞こえないと。
著者の新しい説の眼目も、左脳と右脳の働きの違いにある。 本の冒頭に実験のカラー写真が載っていて日本人とアメリカ人の脳が 「母音`あ``a`」「こおろぎの鳴き声」「フルート」「バイオリン」の4音を聞いた時 どの部分が反応を示したかを示す。
「フルート」と「バイオリン」の音には欧米人も日本人も右脳で反応している。 ところが、「母音」と「こおろぎ」については、欧米人は右脳なのに日本人が左脳。 欧米人は4つの音とも右だったのに、日本人は「あ」と「虫の音」の2つは左でとらえる。
「母音」「虫の音」もなぜか言語の思考の左脳である。 直感的にはとらえていないと言うことになる。
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